「被害者」と「加害者」の、その先にあるもの
「誘拐された少女」と「誘拐した大学生」。これほど明快な構図はない。事実として報道されれば、それだけで大多数の人々は理解したつもりになるだろう。だが、人生とは、事件とは、そんな単純なものではない。
凪良ゆうの小説『流浪の月』は、ひとつの“事件”から始まる。9歳の少女・家内更紗と、大学生の佐伯文。二人は「誘拐」とされる出来事の中で、確かに時間を共にした。だがそれは暴力や監禁ではなく、むしろ更紗にとっては「救い」だった。常識では測れない関係、世間の目では見えてこない感情が、ふたりの間には確かに存在していた。
物語は更紗が高校生になり、そして大人になっていく過程で、何度も「その日」に戻っていく。過去に何があったのか。それは“なぜそうなったか”というよりも、“なぜ他に道がなかったのか”という問いかけであり、読者自身にも「あなたならどうする?」という鏡のような問いを突きつけてくる。
登場人物の「静かな叫び」
家内更紗——ラベルに抗う少女
更紗は9歳の時に家庭内で深い孤独を抱えていた。母親からの愛情は名ばかりで、継父との関係は陰湿なものだった。その中で彼女が逃げ込んだのが、佐伯文の部屋だった。文は彼女に手を出すこともなく、ただ静かに一緒に過ごすことで安らぎを与えた。
だが、社会はそれを“誘拐”と断じる。更紗は一夜にして「被害者」となり、文は「加害者」として逮捕された。彼女の「自分で選んだ」という意思は無視され、彼女は“可哀想な少女”として消費されていく。
成長してからの更紗は、周囲と距離を取りながら生きている。親戚の元で生活し、表面的には落ち着いた生活を送るが、心の中にはあの“静かな時間”がいまだに息づいている。彼女は文との再会を求めるわけでも、過去を美化するわけでもない。ただ、自分の選択を肯定したい。そう願って、懸命に“普通”を装う。
佐伯文——過去と向き合い続ける青年
文は更紗をかばい、すべての責任を一身に負った。無実であると証明する術はあったかもしれないが、彼はそうしなかった。自分の人生が壊れることを承知で、更紗を守るために“誘拐犯”となったのだ。
出所後の文はひっそりと生きる。自分の過去を知る人間と関わらず、世間から距離を置く。彼にとって更紗との日々は、間違っていたかもしれないが、偽りではなかった。しかしそれを語る場所はない。正当化すれば「反省していない」と言われ、沈黙すれば「やましいからだ」と言われる。
文の生き方は、まさに「語れない物語」を背負った者の姿であり、そこにあるのは罪悪感だけではなく、“自分の記憶を守る”という切実な祈りでもある。
時間と記憶、そして「選択」の物語
本作は時間軸を行き来する構成になっている。事件当時の描写は断片的に挿入され、現在の更紗や文の姿と対比されながら、少しずつ真実が明かされていく。
この構成が見事なのは、過去が「出来事」としてではなく、「記憶」として語られていく点にある。人間の記憶は、時に歪む。だが、歪むからこそ個人的で、切実だ。更紗にとっての「あの夏」は、誰が何を言おうと、“安息”の記憶である。それを否定されることは、彼女自身の存在を否定されることに等しい。
「選択」という言葉が、本作には何度も登場する。誰かが強制したのではない。自分で選んだ——その思いが、彼女を支えている。だがその“選択”さえも、社会は容易に否定する。未成年の少女に「選ぶ力」などないと断じ、彼女の記憶さえも“誤り”として扱う。
ここにあるのは、「子どもだから」「女の子だから」「被害者だから」という一見善意に満ちた暴力の構造だ。凪良ゆうはその暴力性を、決して声高にではなく、じわじわと染み込むように描いていく。
世間の「正しさ」と向き合うために
『流浪の月』が優れているのは、物語のテーマが決して“特殊な出来事”ではなく、“誰もが関わりうる社会の在り方”である点にある。
SNSの時代、私たちは常に誰かを裁き、評価し、カテゴライズしている。それは時に必要な行為であると同時に、「個」を見失わせる危険性をはらんでいる。
文と更紗の物語は、そうした「正しさ」がいかに個人を押しつぶすかを示している。加害者と被害者、罪と罰、善と悪——その線引きの曖昧さ、そしてラベルに収まりきらない人間の複雑さを、静かに、しかし力強く描いているのだ。
「恋愛」ではない、「絆」の物語
この作品を「恋愛小説」と呼ぶ人もいる。確かに更紗と文の間には、特別な感情があった。だがそれは、“愛”と一言で言い切れるものではない。そこには依存や執着、憧れや感謝、恐怖と安心が混在している。
だからこそ本作は、「恋愛」という枠では語れない。「絆」とも違う。名前のない関係性。だが、それでも彼らはお互いを必要とし、心のどこかで繋がっている。そのあり方こそが、本作の核心であり、多くの読者を惹きつける所以だ。
読者への問いかけ——あなたなら、どうする?
『流浪の月』を読んだあと、読者は必ず自分自身に問いを投げかけることになる。
- 自分だったら、更紗をどう見ただろうか?
- 文の行動を、どう受け止めただろうか?
- 「選ばされた」のではなく、「選んだ」と言う少女を、信じられただろうか?
答えは一つではない。だがその問いを立てることこそが、本作のもたらす最大の価値である。
結びに代えて——流浪する魂に、寄り添う一冊
『流浪の月』というタイトルには、多くの意味が込められている。居場所を求め、意味を求め、真実を求めてさまよう魂。その姿は、誰しもが心のどこかに持っている「孤独」そのものだ。
この物語を読むことは、ただの読書体験ではない。自分自身と向き合い、他者との距離感を考え、社会の構造を見つめ直す時間となるだろう。
物語の最後に、更紗と文は完全な救済を得るわけではない。それでも、彼らは自分の言葉を取り戻し、過去を“語る”ことを選ぶ。それこそが、この物語における「希望」であり、「自由」なのだ。
今、この時代だからこそ、多くの人に読んでほしい。『流浪の月』は、あなた自身の“選択”を見つめ直すための、静かで深い鏡となってくれるはずだ。
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