「家族って、なんだろう?」
この問いは、いまや誰にとっても普遍的で、しかし誰にとっても答えにくいものになっている。血のつながりがあっても心は遠く、逆に血が繋がっていなくても深く通じ合える──そんな関係は、いくらでもある。
瀬尾まいこの小説『そして、バトンは渡された』は、「血縁」という常識をそっと横に置いて、「関わり続けること」の美しさを描ききった傑作だ。2018年に出版され、2019年には第16回本屋大賞を受賞。2021年には映画化され、主演は永野芽郁さん、育ての父・森宮さんを田中圭さんが演じた。
本作の何が、ここまで多くの読者を惹きつけたのか。この記事では、その理由を、私自身の「家族」観とも照らし合わせながら、丁寧に掘り下げてみたい。
あらすじ:7回も親が変わった少女・優子の物語
主人公は高校生の森宮優子。地味でおとなしく、少し冷めた視点を持つ少女だが、彼女の境遇はひときわ特異だ。
実の母は彼女が幼い頃に亡くなり、以来、父と継母、さらなる再婚相手…と、7回も親が入れ替わる人生を送ってきた。普通なら“転々とした子ども時代”と聞くと、不幸を想像するかもしれない。だが、優子自身は「私は幸福だ」と言うのだ。
その理由は、彼女のもとに現れた大人たちが、誰も彼女を“見捨てなかった”から。人から人へ、“育てるバトン”が確かに手渡され、優子は大切にされてきた。
その中でも最も長く、そして深く彼女の人生を見守るのが、“今の父”森宮壮介だ。彼は血のつながりのない独身の男性。優子の養父となり、ふたりきりの穏やかな生活を築いていく。
登場人物たちの輪郭は、「血縁」を超える関係性で描かれる
森宮壮介(田中圭さんが演じた)
物語の鍵を握る人物。料理上手で、不器用なようでいて情に厚く、優子の感情を無理に引き出すこともなく、静かに彼女の隣にいる。父親らしい権威はなく、ただ“優子の味方であり続ける”大人。こういう人間が近くにいるだけで、人生はまるで違ってくるのだと、読者は気づかされる。
梨花(石原さとみさんが映画で演じた)
優子のかつての継母。奔放で自由人。家事も子育ても型破りだが、そこには確かな“愛情のスタイル”がある。優子と別れても、彼女の幸せを心から願い、またそのために自分の人生を生きようとする。完璧じゃない大人が、完璧じゃないままで、子どもに愛を手渡す。それも一つの育て方だ。
「バトン」というメタファーに込められた優しさ
タイトルにある「バトン」は、本作の全体を貫くメタファーだ。陸上競技のリレーで使われるバトンは、落としてはならない。だがこの物語では、落としても拾える、そして走る速さも問い直される。
森宮さんや梨花さんたちが優子に渡したのは、「しっかり生きろ」などという押し付けがましいメッセージではない。ただ「あなたのそばにいたい」という、静かな願い。その気持ちが、人生という長いコースを走る勇気になっていく。
優子は“壊れていない”少女だった
一見、複雑すぎる家庭環境をもつ優子。だが彼女は、けっして壊れていない。むしろ、バランス感覚に優れ、他人に距離を詰めすぎず、慎重で、そして芯が強い。
なぜそんなふうに育ったのか?
それは、親たちが“自分の形”で愛を伝えたからだ。「愛してる」なんて言葉は出てこない。だけど料理をしたり、一緒にテレビを見たり、アイスを食べたり、静かに待ってくれたり、そういう積み重ねが、優子の中に「私は大切にされている」という確信を育てていった。
この物語が問いかけるのは、「誰に育てられたか」ではなく「どう育てられたか」
この作品を読むと、「血縁」にまつわる価値観が、まるで塩のように溶けていく感覚がある。家族の定義は、もはや「血」では測れない。
・父親が7回変わっても
・親が誰ひとり“完璧”でなくても
・育ての親が独身男性でも
人は、まっすぐに育つことができる。
本作が描いたのは、“家族という名の多様性”であり、“愛情のあり方の再定義”なのだ。
映画版について:映画ならではの温度と間
2021年に公開された映画版(監督:前田哲)は、原作のあたたかさを失わずに、テンポ良く再構成されている。
特に田中圭さんの演じる森宮さんが素晴らしい。笑顔の奥にある不器用さや、優子への細やかな気遣いが、演技の節々ににじみ出ている。永野芽郁さんの優子も、抑制された感情表現が見事だった。
また、石原さとみさん演じる梨花の存在が、映画版ではより印象深く描かれており、原作の“見えない部分”が補完されているようにも感じた。
「幸せな家庭」は、完成形ではなくプロセスなのだ
『そして、バトンは渡された』を読んで思うのは、家庭や家族は“完成形”ではないということだ。育てる人は変わるし、家族のかたちは動いていく。でも、大切なのは、関わることを諦めないことだ。
失敗してもいい。壊れたっていい。けれど、バトンはまた渡せる。人は、つながり直せる。
まとめ:あなたにとっての“バトン”は何ですか?
この物語を読み終えたとき、心にそっと残るのは、「ありがとう」の気持ちだった。
親に、先生に、友人に──あのとき手を差し伸べてくれた人たちに。
バトンは、何も大げさなものではない。たった一言、たった一杯のスープ、たった一冊の本。それが人生の方向を変えることがあるのだ。
だから私は、この小説を「家族ってなんだろう」と少しでも考えたことがあるすべての人に勧めたい。

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