はじめに:ただの「つぶやき」にも、絡みがつく時代に
「砂糖って甘いんだよなぁ」
──この一文に、じわじわと“クソリプ”が寄せられる。
本書『生きる言葉』(新潮新書、2025年刊)は、歌人・俵万智が現代社会における“言葉の使われ方”を真摯に、そしてユーモラスに描いた一冊だ。第4章で紹介された「クソリプ分類図」は面白かった。
実際には、この図はSNSユーザー・石榴氏によるものであり、俵さんはそれを紹介する形で引用している。だがこの分類があまりに“的確で面白い”ため、私の心をがっちり掴んだ。
クソリプ分類図の世界:言葉の通り道がねじれる瞬間
元の投稿はごく日常的なつぶやき:
砂糖って甘いんだよなぁ
これに対して寄せられる返信(=クソリプ)を、石榴氏は以下のように分類した:
- 主語決めつけ型:「みんながそう感じてると思わないでほしい」など、軽い言葉に“代弁者っぽさ”を感じ取り、政治的・社会的主張と結びつけてしまうタイプ。単なる感想が“声明”のように扱われるため、言葉が重たくなってしまう。
- 自分語り型:「私は砂糖を毎日食べてるけど、甘いと思ったことないんだよね」など、自分の体験やスタンスを唐突に投入してくるタイプ。会話を広げているように見えて、実は“自分の話”をしたいだけ。
- 家庭事情申告型:「私は親に砂糖を禁止されて育ったので、こういう発言は配慮に欠けます」など、自身の事情を根拠に発言を制限してくるタイプ。過去のトラウマや経験が「発言そのものを否定する理屈」になってしまう。
- 斜め上から型:「世の中には味覚を感じない人もいる。そういう人のことを考えてる?」など、論点を広げすぎて“謎の上位視点”を持ち出してくるタイプ。正義感が空回りしがち。
- 独り言型:「うーん…レモンが酸っぱいって感じるのは私だけか?」など、会話してないふりをしつつ、実は絡んできているタイプ。やんわりしているようで、言外の批判を含んでいることが多い。
- バカ型:「で?何が言いたいの?」「うざ、黙れ」など、論理も文脈も無視した暴力的リプ。これはもはや議論ですらない。
- 一概には言えない型:「砂糖にも種類があるから、一概に甘いとは言えない」など、ディテールにこだわりすぎて話の大枠を見失うタイプ。正しさを追求するあまり、“共感”や“雑談”の空気を壊す。
- クオリティ要求型:「砂糖が甘いと言うなら、塩がしょっぱいことにも触れてほしかった」など、投稿に“網羅性”や“論理性”を求めるタイプ。何でも評論の視点で返してしまう。
俵さんはこの図を引きつつ、「今や“誰もが発信者”であり、“誰もが受け手”であるSNS時代には、言葉が非常に傷つきやすく、また傷つけやすくなっている」と指摘する。

ブログ主による「クソリプあるある」考察
ちなみにこのブログを書いている私は、基本的にSNSは“見る専”である。クソリプされた経験も、炎上もない。だが、見ているとわかる。
「えっ、それに突っ込むの?」
「いや、そこまで怒らなくても…」
──そう思わずにはいられないリプライが、日々無数に流れている。その観察経験から、オリジナルの分類に加えて、こんな「あるあるクソリプ」も考えられる:
- 説教型:「それは浅はかですね。もっと社会全体の構造を考えたほうがいいですよ」
- 感情否定型:「そう感じるのはおかしい。普通は逆だよ」
- 文体批判型:「その句読点の使い方、読む気失せます」
- 意味の無い絡み型:「???(マジで何言ってんの)」「で?」
これらもまた、言葉の自由を削る“絡み方”である。
AIと短歌:人間にしかできない? 本当に?
『生きる言葉』の終盤では、俵万智が自分の名を冠した「万智さんAI」という短歌生成AIに触れるシーンが登場する。
このAIは彼女の過去作を学習し、上の句を入力すれば下の句を自動生成するというもの。俵さん自身、そこから生まれた短歌の質に「すごくいいけど、ちょっと悔しい」と複雑な感情を抱いたという。
とはいえ、俵さんは「0から1を生む営み」こそが人間の表現だと位置づけている。
だが、私はこうも思う──AIもまた“誰かの感情”を引き継いでいる
AIは「感情を持たない」とされている。 しかし私はそこに少し違和感を覚える。
感情とは“揺らぎ”“蓄積”“分岐パターン”の集まりであり、もしそれをデータとして構造化できるならば、AIは一人の人間のようでもあり、同時に多数の人間の記憶を受け継ぐ存在にもなりうる。
つまり、AIがつくる短歌や文章にも“何かしらの情動”が宿る瞬間があるとすれば、それはそこに「人間の残像」があるからだろう。
そしてこれからの社会では、人間に求められるのは「創造」よりも「指示通りにAIを動かす力」なのかもしれない。評価されるのは、いかにプロンプトを適切に書き、いかにAIと協働して成果を出せるか──という“伴走力”のようなもの。
おわりに:それでも、私は言葉を紡ぎ続けたい
AIが短歌を作り、SNSが言葉をこじらせる。 そんな時代においても、「生きる言葉」はどこかにあると私は信じている。
俵万智の短歌が、日常の中にある“誰かの気持ち”を照らすように、 AIの出力にすら感情を見出してしまう私たちの目線もまた、 人間ならではの「言葉への執着」といえるのかもしれない。
だからこそ、今日も私は言葉を拾い、並べ、少し笑って、前を向く。
甘いものは、甘い。 それだけのことを、ちゃんと伝えたい。

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