春になると、本屋大賞が話題になる。
「今年はどんな物語が選ばれるのだろう?」というワクワクが、花粉よりも先に空気に漂い始める。
そんな中、2025年の本屋大賞に選ばれたのが、阿部暁子の『カフネ』だった。
「カフネ」──この美しい言葉を初めて目にしたとき、私はその音の柔らかさに心を引かれた。
ポルトガル語で「愛する人の髪に指を通すしぐさ」という意味を持つこの言葉は、物語の核そのものだ。
本書は、いわゆる“死をきっかけに始まる再生の物語”である。
だが、ただの癒し小説とは違う。
そこには、深い喪失と、他者との静かな関係のなかで生まれる希望、そしてなにより、「食べること」の力が描かれている。
法務局職員・野宮薫子と、家事代行員・小野寺せつな
主人公は、法務局に勤める堅物の女性・野宮薫子。
「真面目で、融通が利かない」と言われがちだが、その硬質さの裏には、誰かを守りたいという不器用な愛がある。
彼女が最も大切にしていたのは、年の離れた弟・晴彦だった。
けれど、その晴彦が、突然の事故で亡くなってしまう。
言葉にできない喪失の中、家族として彼の遺言書を確認することになる。
そこには、正式に登録された遺言書として「小野寺せつなに遺産を渡すように」と記されていた。
その名は、弟の元恋人──。
普通なら、そこで終わる関係だ。
別れた相手、それも死んだ弟の“過去”。
けれど薫子は、その遺言に従ってせつなと会う。
そしてその出会いが、彼女自身の再生の始まりとなる。
家事代行サービス「カフネ」
せつなが働くのは、家事代行サービス「カフネ」。
依頼人の家に行き、掃除や料理などの家事を請け負うサービスだ。
だがこの「カフネ」は、単なる業務ではなく、「暮らしに寄り添うこと」を大切にしている。
せつなは、派遣先に家事代行業者が準備した材料をもとに、即興で料理を作る。
その中で、薫子がふとなりゆきで「晴彦の好きだった料理を食べてみたい」とせつなに頼む場面がある。せつなは、それに応えるように、かつて晴彦が食べていた料理を再現し、彼の好みや表情を思い出すように静かに手を動かしていく。
たとえば、骨付き肉の豪快なオーブン焼き。スーパーでしっかりと準備して作られたこの一皿は、晴彦が「アニメの海賊が食べているような肉を一度でいいから食べてみたい」と話していたことに応えるものだった。せつなは、その記憶を形にするように、変わらぬクールな表情のまま、淡々と骨付き肉を焼き上げる。
また、ペンネ・アラビアータのような一皿も登場する。せつなは、晴彦との記憶をたどりながら、彼の反応を思い出すように丁寧に味を整えていく。どんなふうに感じ取ってくれていたのか、確かめる術はなくとも、せつなは想いを込めて鍋をかき混ぜる。
料理というのは、技術や味覚の問題だけじゃない。
「誰かのために手を動かすこと」が、どれだけ大きな力を持っているか──本書はそのことを、静かに、でも確実に伝えてくれる。
食卓は、会話の代わりになる

薫子とせつなは、最初はぎこちない関係だ。せつなが遺産の受け取りを拒んだことで、薫子は怒りを抱くが、やがてせつなの不器用なやさしさに触れることで、徐々に心を軟化させていく。
けれど、2人は一緒に家事代行の仕事をすることで、少しずつ距離を縮めていく。料理を作り、運び、並べ、食べる。さりげない会話の中での掛け合いや、家事代行サービス『カフネ』の上司とのやり取りもユーモアがあり、読者にくすりと笑いを届けてくれる。
ふと思い出したのは、祖母の手作りの煮物だった。いつも同じ味、同じ匂いがして安心するぬくもり。言葉は少なくても、その味が「大丈夫だよ」と語りかけてくれていた気がする。
『カフネ』に出てくる料理の数々には、そういう生活の温度がある。
静かな人たちの、静かなる連帯
本作に登場する人物たちは、基本的には派手ではない。中には感情を爆発させる登場人物もいるが、多くは静かに自分の立場や思いを守り続ける。
だけど、どの人も「誠実」で、「誰かを思っている」。
登場人物はみな、一生懸命で、どこかに孤独や寂しさ、そして日々の忙しさを抱えながらも、それぞれのやり方で懸命に生きている。声を上げるわけでも、派手に誰かを救うわけでもない。けれど、その小さな営みが確かに物語を支えている。
このあたりの描写がとても繊細で、ページをめくる手が止まらない。
“語られない”余白の美しさ
本作では、すべてをすぐに明かすのではなく、時間をかけて丁寧に真実にたどり着く構成がとられている。
晴彦とせつなの関係や、薫子がなぜあれほど弟に固執していたのか──それらは、物語の後半で語られる。
私が強く感じたのは、結局のところ「人の本音は、話してみなければわからない」ということだった。
目に見えていることや、誰かの態度だけで「この人はこういう人だ」と決めつけてしまうのは、実はとても傲慢なのかもしれない。
『カフネ』は、そうした“わかったつもり”を丁寧にほどいていく物語でもあるのだと思う。
誰に手渡したい物語か
この本を誰かにすすめるとしたら──
きっと、最近ちゃんとごはんを食べてない人に手渡したい。
コンビニのおにぎりで済ませてばかりの人、何かに疲れて自炊ができない人、誰かと食卓を囲む機会が減ってしまった人。
そういう人がこの本を読めば、たぶん小さな一歩が踏み出せる。
「誰かのためじゃなくても、自分のためにスープを作ってみようかな」って。
それだけでも、人生は少しやさしくなる。
終わりに──“カフネ”という行為を思い出すとき
物語の最後で、薫子とせつなは、もう一度、食卓を囲む。
そこに言葉はいらない。
「髪に触れる」という行為が持つ、優しさと親密さ。
言葉よりも先に届く愛情。
そのすべてが、そっとページから立ち上ってくる。
『カフネ』は、誰かの髪を撫でるように、自分自身の心も撫でてくれる物語だ。
この春、忙しなく毎日を送っている人にこそ、読んでほしい。
たった一冊の小説が、きっと、あなたの生活を少しだけ変えてくれる。

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