夜空に触れるように──『汝、星のごとく』を読む

お気に入りの本

その愛は、見上げた夜空の星のようだった。遠く、触れられず、それでも確かにそこにある。そんな感覚を言葉で丁寧にすくい上げた一冊が、凪良ゆうの『汝、星のごとく』だ。

2023年、本屋大賞を再び受賞したこの作品。『流浪の月』で心を震わせられた読者なら、今作でもまた魂を静かに揺さぶられるだろう。

舞台は、瀬戸内の小さな島

物語は、瀬戸内海に浮かぶ架空の島を舞台に始まる。そこに暮らすのが主人公・井上暁海(いのうえ・あきみ)。父親が不倫相手のもとに去り、奔放な母親と二人で暮らしている。言葉にすれば簡単だが、それが思春期の少女に与える影響は、想像以上に深い。

そこへ転校してくるのが、京都から来た少年・青埜櫂(あおの・かい)。彼もまた、母親の奔放な恋愛に翻弄され、心に孤独を抱えていた。大人たちのエゴに傷つけられた二人は、孤独の中で出会い、静かに惹かれ合っていく。

ここまで読むと、よくある“傷を抱えた少年少女の恋愛もの”と思われるかもしれない。だが、それではこの作品の深さは伝わらない。

ヤングケアラーという現実

暁海と櫂は、単なる家庭不和の被害者ではない。彼らは、親の世話を担わざるを得なかった「ヤングケアラー」だ。親が子を支えるのではなく、子が親を支える構図。しかもそれが、法的にも制度的にも十分には保護されていない日本社会の現実。

本作は、その社会問題を正面から描く。

“親のために犠牲になった子供”という物語は、読者に重くのしかかる。だが同時に、凪良ゆうの筆致は優しい。批判ではなく、共感と理解を促すように、静かに寄り添う。

15年という時間軸

特筆すべきは、物語のスパンだ。暁海と櫂の関係は、高校時代から始まり、15年の歳月をかけて紡がれていく。

時間が経つことで人は変わる。夢も変わる。価値観も変わる。だが、根本にある感情はどうだろうか。変わるのか、それとも変わらないのか。

『汝、星のごとく』は、愛が成熟していくプロセスを丁寧に描く。若いときの“どうしようもなく欲しい”という感情から、“離れていても大切だと思える”愛へと昇華していく。

読者として、この時間軸の中で登場人物と一緒に歳を重ねていく感覚がある。それが、ページをめくる手を止められなくさせる。

プロローグとエピローグの仕掛け

この作品の秀逸さを象徴するのが、プロローグとエピローグだ。

最初に読んだとき、ただの風景描写に見えるプロローグ。それが物語を読み終えたあと、まったく別の意味を持って立ち現れる。

それはまるで、最初から星がそこにあったのに、夜になるまで気づかなかったような感覚。

この構成は見事というほかない。作者の“読後感への配慮”が、読者の感情に深く刺さる。

北原先生と菜々の存在

物語には、暁海と櫂の他にも重要な登場人物がいる。

北原先生――高校の教師であり、二人の数少ない理解者。彼自身もまた複雑な過去を背負っており、ただの善人ではない。その“完璧ではない大人”の存在が、物語に現実味を与える。

そして菜々。後半、思わぬ場面で登場する彼女の存在は、物語にもうひとつの光をもたらす。

読者は彼女たちを通じて、「誰かの人生を背負うことの難しさ」と、「それでもなお、誰かと共に在ろうとする意志」の尊さを知る。

『星を編む』という補助線

本作には続編にあたる中編集『星を編む』が存在する。

こちらでは、暁海と櫂が選んだその後の人生、そして周囲の人々の心の変化が描かれている。『汝、星のごとく』だけでは語られなかった余白が、丁寧に埋められていく。

続編を読むことで、初めて本作のラストの真意に辿り着く読者も少なくないだろう。『汝、星のごとく』と『星を編む』、ふたつで一つの宇宙を形作っているといえる。

なぜ今、この物語が響くのか

凪良ゆうが本作で描いたのは、単なる恋愛ではない。“個人が他者とどう関わり、どう自立していくのか”という、普遍的でいて、なおかつ現代的なテーマだ。

SNSで“つながる”ことが容易になった時代に、人と人が「ほんとうにつながる」ことの難しさが浮き彫りになる。そして、そのうえでなお、信じ合い、待ち合い、支え合うこと。

それは、夜空を見上げ、遠い星を想うことと似ている。

届かなくても、そこにあると信じられること。それだけで、人は今日を生きていける。

読了後、空を見上げたくなる

そこには確かに星があった。名前も知らない、小さな光。その一つひとつが、誰かの人生のようにも思えた。

『汝、星のごとく』は、そういう物語だ。決して派手ではない。だが、確実に胸に残る。まるで、夜空に残る星のように。

もし、まだ読んでいないなら。人生に迷ったとき、孤独を感じたとき、自分の気持ちがわからなくなったとき。ぜひ手に取ってみてほしい。

あなたの心のどこかに、静かに光る星が生まれるはずだ。

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