恩田陸の『常野物語』シリーズは、3冊の作品から成る連作世界です。
- 『光の帝国』(1997年)
- 『蒲公英草紙』(2005年)
- 『エンド・ゲーム』(2006年)
この三部作には、不思議な能力を持ち、目立たずひっそりと暮らす常野(とこの)一族が登場します。彼らは誰にも悟られず、語ること、記憶すること、読むこと、裏返すことといった能力をもって、静かにこの社会に生きています。
私がこの三部作を通読して最も印象的だったのは、登場人物たちや「常野一族」というコンセプトは一貫しているのに、各作品の文体、構成、物語の進行がまるで別々の小説のようだったことです。
このブログでは、これから常野物語を読む人にも、未来の続編が出たときに復習したい人にも役立つように、各巻の特徴や登場人物、時系列、そして共通する世界観について丁寧に整理していきます。
『光の帝国』――現代に生きる常野の断片
『光の帝国』は短編集でありながら、読後に一本の太い軸が感じられる不思議な作品です。全10話にわたり、常野一族に属するさまざまな人々の生き方と、その能力の形が描かれています。
主な登場人物と能力
- 春田一家(「大きな引き出し」):記憶を “しまう” 能力を持ち、情報を封印・格納できる。
- 拝島瑛子・時子(「オセロ・ゲーム」): “裏返す” 能力を持つ母娘。
- ツル先生(「光の帝国」): “つむじ足” と呼ばれる超高速移動能力。
- 語り手たち(「草取り」など):一族のささやかな営みと、世界に対する静かな抵抗が浮かび上がる。
特徴
- 都市や地方、さまざまな舞台で静かに暮らす常野一族の現在が描かれる。
- 全話に直接の繋がりはないものの、読み終えると共通した哲学や感覚が浮かび上がる。
- テーマは「記憶」「継承」「沈黙の力」。
『蒲公英草紙』――常野の過去、少女の目に映る夏
『蒲公英草紙』はシリーズ唯一の長編小説で、時代は昭和初期。語り手は峰子。東北の旧家・槙村家に住み込んだ彼女が見た、少女・聡子と常野の子たちとの交流を描いています。
主な登場人物
- 峰子:語り手。槙村家で奉公する少女。記憶の中に語られる物語の案内人。
- 槙村聡子:槙村家の末娘。自由奔放な性格で、常野の少女たちと交流する。
- 春田一族:常野一族の中でも重要な存在。『蒲公英草紙』では春田家の前の世代が登場し、彼らの暮らしや思想が聡子や峰子に大きな影響を与える。
特徴
- 明確な対立や国家との衝突は描かれず、むしろ静かな共存と別れが主題。
- 常野一族の思想、生き方が少女たちのひと夏の交歓の中ににじむ。
- 回想形式と柔らかい語りが、古き良き時間の流れを感じさせる。
『エンド・ゲーム』――常野の未来と危機
『エンド・ゲーム』は『光の帝国』収録「オセロ・ゲーム」の続編に当たる物語。母を亡くした拝島時子が主人公となり、自分の能力の意味と、常野を脅かす存在「あれ」との対峙に向かいます。
主な登場人物
- 拝島時子:”裏返す” 能力を持つ少女。物語の主人公。
- 拝島瑛子:時子の母。物語開始時点ではすでに故人。
- 洗濯屋たち:「裏返す」能力を持つ者を管理・監視しようとする謎の勢力。
特徴
- シリーズの中で最もサスペンス色が強く、構成も明確な追跡劇となっている。
- 常野という一族そのものの「正体」や「未来」が問われる。
- 表現は現代的でドライ。シリーズの終幕としての緊張感をはらむ。
時系列と世界観の整理
作品 | 時代 | 主な舞台 | 主人公 | 一族との関係 |
---|---|---|---|---|
蒲公英草紙 | 戦前(昭和初期) | 東北の旧家 | 峰子 | 一般人(観察者) |
光の帝国 | 現代 | 全国各地 | 複数人 | 一族自身 |
エンド・ゲーム | 現代 | 都市部 | 拝島時子 | 一族(当事者) |
総括――共通する哲学と異なるアプローチ
三部作を通じて一貫して描かれているのは、「静かに暮らす者たちの中にある力」と、「社会とどう接続するか」というテーマです。
常野一族の力は決して誇示されることがなく、むしろ目立たぬよう制御され、伝えられます。この控えめな生き方が、喧噪の現代社会において逆説的に強い光を放っているように感じられます。
ただし各巻のアプローチはまったく異なります。
- 『光の帝国』は、それぞれ独立した短編を読み進めていくうちに、少しずつ常野一族の姿が浮かび上がってくる静かで丁寧な作品。
- 『蒲公英草紙』は少女の視線を通して描かれるノスタルジックな物語。
- 『エンド・ゲーム』は一族をめぐるサスペンスであり、終章の予感。
この読み味の違いが、常野物語の奥行きを豊かにしている最大の魅力かもしれません。
これから読む人へ、そして続編を待つ人へ
もしあなたがこれから常野物語に触れるなら、刊行順で読むことをおすすめします。それぞれの物語は独立しても読めますが、『蒲公英草紙』の郷愁や『エンド・ゲーム』の緊張感は、先に『光の帝国』で世界観に馴染んでおくことでより深く味わえます。
そして、もし続編が出ることがあれば、この記事が記憶の整理と再訪の手助けになることを願っています。
常野一族の静かな息づかいを、私たちはきっと忘れないでしょう。

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