観るように読める『ユニクロ』――日曜劇場みたいに胸が熱くなる“企業ノンフィクション”の正体

お気に入りの本

「ビジネス書って、理屈が多くて退屈」――そんな偏見をひっくり返す一冊がある。杉本貴司『ユニクロ』(日本経済新聞出版、2024年)は、企業史を物語として読みたい人に刺さる、約500ページの“長編ドラマ”だ。舞台は山口県宇部市のシャッター商店街から、やがて世界の銀座・ソーホー・上海へ。主人公はもちろん、ファーストリテイリング会長兼社長の柳井正。彼の迷い、怒り、決断、そして敗北を積み重ねて進む群像劇は、まさに日曜劇場の熱量で読み進められる。書店で手に取った瞬間の「これは“経営の教科書”ではなく、“挑戦の物語”なんだ」という直感は、読み進むほどに確信へ変わった。事実、著者は新聞記者として膨大な取材と資料を積み上げ、成功談だけでなく失敗や離脱、批判の局面を“引き算”の視点で描き切っている。だからこそ、ページをめくる手が止まらない。

これは“サクセス本”ではない――テーマは「質の高い失敗」

この本の中心にあるのは「質の高い失敗をどれだけ積み重ねられるか」という問いだ。柳井がしばしば口にする「一勝九敗」の哲学は、成功の陰にある九つの敗北を真正面から見よ、という宣言である。実際、国内外での店舗失敗や新規事業の撤退に至るまで、痛みを伴う判断が淡々と描かれる。読者は、派手な勝利の裏側に、無数の検証・改善サイクルが回っていることを知るだろう。勝ち筋が見えるまでサイコロを振り続ける執念。書名にふさわしく、この執念がユニクロという“装置”を動かしている。

起点は“寂れた商店街”――プロローグの映画的演出

物語の幕は、宇部中央銀天街の静けさから始まる。かつて賑わったアーケードは、平成の終わりにはシャッターが目立つ通りになった。著者は、ここを「地方の小さな紳士服店・小郡商事が、どうして世界企業の母体になり得たのか」を解き明かす起点に置く。主人公は最初から強くない。学生時代は“寝太郎”と呼ばれ、やる気も覇気もない青年だった――そんな弱さが、むしろ読者の共感を呼ぶ。ここから家業承継、古参社員の離脱、資金繰りの綱渡りが続き、視点は一気に“家族の物語”へ変わっていく。企業神話の裏の生活感と感情のざらつきが、映像のように立ち上がるのだ。

創業編の見どころ――「鉱脈を掘り当てる」瞬間の鳥肌

創業編のクライマックスは、香港視察でつかんだSPA(製造小売)モデルと、倉庫型セルフサービスという発想だ。卸を介さず、情報と生産・販売を垂直に統合することで価格と品質の均衡を取る。この気づきが、路面の一店舗を“仕組みの会社”へと変えていく。のちにユニクロが掲げる「情報製造小売業」というアイデンティティは、服を“情報”として捉え、収集・編集・加工・伝達まで自らやり切るという思想に行き着く。読んでいると、柳井が「鉱脈を見つけた」と叫ぶ朝礼の熱に、自分も立ち会っているかのような錯覚を覚えるはずだ。

国内成長編の見どころ――フリース無双と、評価制度のきしみ

1998年前後、あの1900円フリースが社会現象になる。大量の折り込みチラシ、整然とした売場、週末の開店前行列……勝利の風景は痛快だが、同時に組織の歪みも加速する。急成長に人材育成が追いつかず、現場は長時間労働と厳しい評価で擦り切れていく。“ブラック”批判が噴出し、仲間が去り、経営は迷走。だが本書はここを美談にしない。誤りを認め、制度を直し、もう一度「顧客起点」に立ち戻るプロセスを、事実の積層として書き留めていく。後に“よく売れるから作る”のではなく“売れるものを作る”へと、在庫とMDの思想が反転していく下地は、まさにこの痛みの時代に形成されたのだ。

グローバル編の見どころ――ロンドンでの敗北、香港での再起

初の本格的な海外展開であるロンドンでは、日本式の運営・商品が受け入れられず、多くの店舗を畳む挫折を味わう。だが、ここでも“質の高い失敗”の思想が生きる。現地に根差した商品・表現・人材へ舵を切り、香港で突破口を開く。やがて「LifeWear」という旗印の下、機能性素材とミニマルなデザインを世界共通語にしていく。熱狂や流行ではなく、日常を更新する服。これがユニクロの“物語の核心”としてゆっくり立ち上がっていく。

“情報製造小売業”という再定義――服をデータで編む

「服は暮らしの情報である」。ファーストリテイリングは、情報の収集・編集・加工・伝達を自ら担う“情報製造小売業”への転換を明言してきた。これは在庫を予測で積む旧来型から、需要情報の張力で生産・物流を最適化するプル型へ、という思想の転回だ。ヒートテックやエアリズムが単なるヒット商品に終わらず、継続的に改善・拡張されるのも、顧客データの循環を前提にしたものづくりだからこそ。ユニクロが“流行”より“生活”を優先する理由が、この章で腑に落ちる。

人間ドラマとしての『ユニクロ』――柳井正という“不完全さ”

本書の面白さは、柳井をヒーローに仕立てない点にもある。短気で、妥協を嫌い、時に苛烈な言葉を投げる。一方で、敬語で部下に向き合い、数字でしか語らない冷徹さも見せる。読んでいて感じるのは、不完全さを自覚し続けるリーダーの孤独だ。成功の陰には、別れた同志の名前がいくつも並ぶ。だが、その離脱さえも“新陳代謝”として飲み込み、次なる挑戦に賭ける。綺麗事では説明できない現実を、著者は淡々と並べる。だからこそ、最後には奇妙な清々しさが残る。これは“勝者の物語”ではない。“挑み続ける人間の物語”なのだ。

日曜劇場でいうなら

もしドラマ化されたら、創業編は地方の空気を丁寧に撮る“静の画”、国内成長編は勝ちに酔いしれる“動の画”、グローバル編は“逆風を受けてからの水平飛行”という三幕構成がいい。序盤の宇部の雨、折り込みチラシのインクの匂い、ロンドンの鈍い空――読書体験の中に、すでに映像がある。登場人物の“勝ちセリフ”は少なく、むしろ失敗を受け止める沈黙が多いはずだ。だからこそ、一度噛み合った瞬間の爽快さが増幅する。企業ノンフィクションをこんなふうに撮れる時代が来たのか、と思わず天を仰いだ。

読み味の特徴――「調査の厚み×演出の間合い」

新聞記者によるルポルタージュらしく、事実関係の確認と証言の積み上げが綿密だ。そのうえで、章ごとの“置きショット”が効いている。たとえば、商店街の沈黙から始めるプロローグ、フリースの行列を遠景で見せる国内編、ロンドンでの撤退を事務所の薄い蛍光灯の下で告げるシーン――視覚的に記憶される“間”がある。硬派な取材と、映画的な演出の両立。これが「ただのビジネス書ではない」と言い切れる理由だ。

学びは“経営テクニック”より“態度”に宿る

もちろん、SPAモデル、サプライチェーン、データ活用、ブランド設計など、実務に直結する示唆も多い。だが最も価値があるのは、「変化を止めない態度」そのものだ。勝った理由より、負けた理由を書く。ヒーローの名言より、会議室の沈黙を記録する。あえて痛むほうを選ぶ。著者が描いた“態度の設計図”は、肩書きに関係なく今日から使える。私はこの本を読み終えた夜、仕事のメモ帳に“昨日の失敗”だけを書き出す習慣を始めた。小さな失敗の棚卸しこそ、次の実験の設計図になるからだ。

こんな人にすすめたい

・「日曜劇場」の企業ものが好きな人(『半沢直樹』『陸王』の“逆境→再起”の手触りを、現実世界で味わいたい人)
・スタートアップ/小売/製造の現場で、在庫と需要情報の間でもがいている人
・“成功本”に飽きた人。敗北のディテールから学びたい人
・ユニクロの服を毎日着ているが、なぜ“安心して選べる”のかを言語化したい人(キーワードはLifeWearと情報製造小売業)

“希望の物語”を、仕事の燃料に

『ユニクロ』は、地方の小さな店から世界標準を作るまでの長い道のりを、敗北の断面ごと記録した“希望の物語”だ。読み終えた後に残るのは、勝者の高揚ではない。むしろ、地味で、倹約で、しぶとい――そんな形容詞で語られる勇気である。私たちは明日も、小さなサイコロを振れるだろうか。数字と現場と顧客の声を同じテーブルに並べ、負け筋を一つずつ潰していけるだろうか。ドラマのように熱く、資料のように冷静なこの本は、きっと仕事の“燃料”になる。まずは一章だけ、夜更けの静けさで読んでみてほしい。きっとページを閉じられなくなる。

服を変え、常識を変え、世界を変えていく

ユニクロ/ファーストリテイリングの標語「服を変え、常識を変え、世界を変えていく」は、服を流行の消費財ではなく、人の暮らしを良くする“設計”として捉え直し、その更新を通じて社会の当たり前まで変えるという宣言だ。歴史の実例なら、1939〜40年に現れたナイロン・ストッキング。薄くて丈夫で入手しやすい素材革新は、脚の見せ方や職場の身だしなみを塗り替えた。戦時の欠乏は代替の美学を生み、1959年のパンティストッキングはガーターを不要にしてミニスカートを“日常服”へ押し上げた。ユニクロのLifeWearも、この因果を現在進行形で実装している。すなわち、素材×設計×供給の最適化が“服”を変えると、人々のマナーやTPO=“常識”が揺れ、流通や都市の風景、ジェンダー観といった“世界”が更新される。ユニクロは情報製造小売を軸に、ヒートテックやエアリズムなどの機能素材を毎年改良し、高品質=高価格という思い込みや過剰在庫の常識を壊しながら、誰もが手にできる価格帯でこの連鎖を生み出そうとしている。それが企業理念の実装であり、「服から世界へ」という順序の約束である。日々の一着の改善が、未来の当たり前を作る。

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