和田竜『最後の一色』感想・レビュー──12年ぶり新作の戦国小説をネタバレありで読み解く

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和田竜の十二年ぶりの新作『最後の一色』(小学館、二〇二五年十一月発売・上下巻)を読了した。本記事は、上下巻を通読したうえでの感想・レビュー・考察である。後半は結末の謀殺シーンを含むネタバレに踏み込むため、未読の方はご注意いただきたい。

書誌情報

項目内容
タイトル最後の一色(上・下)
著者和田竜
出版社小学館
発売日二〇二五年十一月五日
ページ数上巻四三二頁/下巻三六八頁
価格(税込)上二,一〇〇円/下一,九〇〇円
累計発行部数二十万部超
受賞・前作著者は『村上海賊の娘』で本屋大賞受賞(累計三〇〇万部)

はじめに──十二年待った新作

『村上海賊の娘』を読み終えたあのときの興奮を、まだ手の感触のように覚えている。本を閉じて、海と人間と時代が、これだけのスケールで一冊に収まるのか、と。あれから十二年が経って、ようやく次の物語が届いた。『最後の一色』──戦国時代を舞台にした、ある「怪物」の物語である。

上下巻あわせて八百ページ。読み終えた今、率直に言ってしまうと、待った時間に見合うどころか、それを超える充実があった。

和田竜とは──『のぼうの城』『村上海賊の娘』から続く作家性

『のぼうの城』の長親、『村上海賊の娘』の景。彼の小説に登場する主人公は、ひと言で説明することがどうにも難しい。常識の枠から、ぐにゃりと一歩はみ出している。だがそれは奇をてらった造形ではなく、むしろ「人間とは本来このくらい多面的なものだ」という、作家の信念のようなものに支えられている。

戦国という時代は、人間を極限まで剥き出しにする舞台装置だ。生死がいつも隣にあり、忠誠と裏切りが紙一重で、一族の存亡が一瞬の判断にかかる。そういう時代に置かれた人間が、どう揺れ、どう決断し、どう散っていくのか。和田竜は、その揺らぎの一つひとつを、決して安易な英雄譚に回収せずに描く。だから読み終えた後、胸に残るのは爽快感というより、何かもっと重く、奥行きのある感情だ。

『最後の一色』も、その系譜にある。 ただし今回の主人公は、これまでにない「怪物性」を備えていた。

一色五郎とは何者か──戦国最後の「怪物」の人物像

舞台は天正七年から天正十年。本能寺の変を挟む、信長の天下布武がほぼ完成しつつある最後の混沌期である。丹後国──現在の京都府北部、日本海に細長く突き出た半島地形の地に、一色家という守護大名がいた。室町時代以来の名族だが、信長の時代には完全に時代に取り残されつつあった。

父・義員が長岡(細川)藤孝・忠興親子の攻撃によって自刃に追い込まれたとき、嫡男の五郎は十七歳。そこから物語が始まる。

五郎の容貌の描写を、和田竜はほとんど躊躇なく「魔物」のように書く。六尺(約一八〇センチ)を超える巨躯。異様に長い手足。左目だけが極端に大きい。子どもの頃に大江山で熊を素手で殺したという逸話を持つ。無口で、豪胆で、それでいて細心。初陣からして、二刀流で敵を斬り伏せ、わずか五十騎で三倍以上の敵を撃破して退却するという尋常ではない武勇を見せる。

ここまで書くと、彼は単なる超人型のヒーローのように見える。しかし和田竜の筆は、そこで止まらない。

五郎の「怪物性」を真に成立させているのは、武勇でも体格でもなく、思考の深さなのだ。 家臣にすら秘策を明かさない。動きを読ませない。和睦と戦闘のあいだを自在に行き来し、そのすべてが計算尽くである。鉄砲隊の使い方、城の選定、籠城戦と野戦の使い分け、降ったふりをして時を稼ぐ判断。読みながら何度も、「この男は本当に十七、八の若武者なのか」と疑いたくなるほど、判断が冷徹で大人びている。

そして同時に、彼は妻を深く愛する男でもある。武と知と情、その三つが矛盾せず一人の人間の中に同居している。これがどれほど書きにくいことか、書く側に少しでも回ったことのある人間なら分かるはずだ。

長岡忠興との因縁、伊也との婚姻──物語の核となる関係性

一色五郎と長岡忠興。物語の構造を支えているのは、この二人の関係である。 父を殺した側の忠興と、その妹・伊也を娶る五郎。普通に書けば憎悪と復讐の物語になるはずのこの構図を、和田竜は別の方向に進める。

戦場で互いの首を取る寸前まで追い詰めあい、かと思えば義兄のピンチに駆けつけて重傷を負う。敵でありながら、敵を超えた何かで結ばれていく。最終的に二人の関係は、宿命のライバルから「旧友」と呼ぶしかない場所にたどり着く。

私はこの関係性の描き方に、和田竜という作家の中年期の達観のようなものを感じた。 若い頃の小説家であれば、たぶんもっと敵対の側面を強調したと思う。あるいは美しい和解の物語にしてしまったかもしれない。だが本作では、敵対も和解もどちらでもない、もっと複雑なグラデーションが選ばれている。互いの中に自分の鏡像を見てしまった男たちの、ねじれた敬意。これは戦国小説というより、ある種の友情論のようでもある。

伊也との関係も印象的だ。 妻が危篤に陥ったとき、五郎は天橋立の霊水を何度も汲んでは妻の口に含ませる。これは史料に残る逸話だという。怪物的な武勇と、この祈りに似た優しさが、同じ一人の男の中に矛盾なく同居している。和田竜は、そういう人間の振れ幅を信じている作家なのだと、改めて思った。

伊也のキャラクターも、ともすれば「政略結婚で送り込まれた女」という記号で済まされかねない難しい立ち位置にある。だが彼女は、その記号の中で立ち止まらない。実家・長岡家への思いと、夫・五郎への愛情と、一色家の女主としての覚悟と、そのすべてを引き受けて自分の足で立つ。

史実との関係──一色五郎は実在したのか

一色五郎という人物は、実は史料がきわめて少ない。 『一色軍記』のような軍記物が中心で、一次史料に名前が出てこないため、「実在が疑われる人物」とされることもあるという。系図には記載があり、結末である謀殺の事実は確かに伝わっているが、その人物像は霧の向こうにある。

和田竜が選んだのは、その霧の濃さを逆手に取る道だった。 『丹後旧事記』『綿考輯録』など複数の史料を丹念に組み合わせ、点と点をつなぐ。残された逸話──熊を素手で殺した、初陣で大暴れした、妻に霊水を含ませた、宮津城で謀殺された──を、矛盾なく一人の男に流し込んでいくと、自然とこの「怪物」の輪郭が立ち上がってくる。

歴史小説の醍醐味のひとつは、史料の沈黙のなかに、作家がどんな声を聴くかにある。和田竜が一色五郎の沈黙に聴いた声は、強く、複雑で、どこか悲しい。

ちなみに、丹後の国人衆や砲術の名手・稲富祐直など、脇役にいたるまで描写が手厚い。中央の信長や光秀の動きが、丹後という辺境からどう見えていたか──その視点の取り方が周到で、群像劇としての厚みを支えている。中央史観に慣れた目には新鮮なはずだ。

【すこしネタバレ】忠興の絶叫

ここから先は結末に触れる。未読の方はご注意を。

「最後の一色」というタイトルの意味が、ここで明らかになる。 室町以来の名族・一色家の、文字通り「最後」。歴史の地層に静かに沈んでいく一族の最終ページに、五郎の名が刻まれる。

私が震えたのは、そのあとに置かれた忠興の絶叫だった。 「あいつは、ついにわしに負けることなく、上様(信長)のもとへ行ったのだ」──

戦場で正々堂々と決着がつかなかったこと。不本意な形で五郎が死んだこと。それを忠興は、自分の側の「勝ち」とは決して認めない。むしろ、五郎は最後まで自分に「負けなかった」のだと叫ぶ。 ここには敗者と勝者の単純な図式を超えた、一種の倫理がある。和田竜は、この一行のためにここまでの長い物語を書いてきたのではないかとさえ思う。

そして読者は、ここで初めて気づくのだ。 この物語の本当の主人公は、五郎一人ではなかったのだと。五郎を倒し、最後に五郎を悼んだ忠興もまた、この物語のもう一人の主人公だったのだと。

読後の感想──現代に響く「自分の判断で動く」という主題

組織のなかで何かを決断する人間の重さ、敵と味方が一夜にして反転する世界の理不尽、それでも信じるものを持って立ち続けようとする意志。戦国の物語が今も読まれ続ける理由は、たぶんそういう普遍性のなかにある。

一色五郎という男は、たしかに怪物的な存在として描かれている。だが私が読み終えて残ったのは、彼の超人性ではなく、彼の「最後まで自分の判断で動いた」姿勢のほうだった。 信長の御馬揃えに加わり、甲州征伐にも参加し、半ば織田家臣の立場に身を置きながら、それでも本能寺後の判断は自分の頭で下した。結果として彼は死んだ。だが、その判断が誰かに強いられたものではなかったという一点において、彼は最後まで一色五郎であり続けた。

これは戦国の物語であると同時に、現代の私たちにとっての小さな問いでもある。 組織のなかで、立場のなかで、私たちはどれだけ自分の判断で動けているだろうか。流されることと、判断することの境目は、実はそれほど鮮明ではない。判断したつもりが流されていた、ということもあれば、流されたように見えて実は静かに判断していた、ということもある。一色五郎という怪物は、その境目にずっと立ち続けた男だったのではないか──

まとめ──和田竜『最後の一色』をすすめる理由

和田竜の小説には、いつも「敗者の視点」がある。 勝った側からはこぼれ落ちる感情、史書には書かれなかった迷いや祈り、それらを丁寧に拾い上げて物語に仕立てる手つきが、彼の真骨頂だ。本作もまた、その系譜にある一冊だった。

戦国の闇のなかに、ひとつの怪物が確かに生きていた。 そう信じさせてくれるだけの力が、この本にはある。

『のぼうの城』『村上海賊の娘』を愛した読者には、自信をもっておすすめする。歴史小説をあまり読まない方にとっても、一色五郎という人物のスケールに引き込まれれば、戦国という時代そのものへの扉が開くはずだ。

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