「読後感がきつい」と評される本作を、あえてマーケティング・組織論・人類史というレンズで読み解いてみたい。本稿は多少のネタバレを含むので、未読の方はここで引き返してほしい。
「神がいないこの国で人を操るには、”物語”を使うのが一番いいんですよ。」

帯のキャッチコピーがすべてを物語っている。タイトルの「メガチャーチ」は、本来は数千人規模の巨大教会を指す言葉だが、本作では「特定のアイドルやタレントを熱狂的に支持する界隈(かいわい)」全体を象徴する比喩として使われている。
朝井リョウは『何者』で就活を、『正欲』で多様性を題材に、現代日本の「今この瞬間」を標本化してきた作家だ。本作はその系譜の最新作で、令和の推し活・ファンダム経済・エンタメ産業の裏側を、精密に、そして残酷に切り取っている。
三者三様の「物語」依存
物語は3人の一人称視点で交互に進む。
久保田慶彦(47歳)は、レコード会社勤務の中年男性だ。離婚後、孤独とキャリア停滞に苛まれる中、男性アイドルグループの「ファンダム経済構築チーム」にスカウトされる。彼の役割は、最も共感力が高く・自他の境界が曖昧で・視野を狭めやすいファン層を炙り出し、盲目的に課金するコアファンを増やす「物語」を設計すること。MBTI分析や心理操作を駆使する立場にいる。
武藤澄香(19歳)は慶彦の娘。大学生活に馴染めず、デビュー間近の男性アイドルに強く共鳴し、推し活にのめり込んでいく。「物語」に絡め取られていく構図が、本作の最も悲劇的。
隅川絢子(35歳)は契約社員。舞台俳優を熱狂的に応援していたが、推しの自殺を受け入れられず、陰謀論を唱える教団的な宗教団体に取り込まれていく。
最終的に3者の運命が渋谷で交錯し、誰も救われず、誰も悪者でもない。ただ「物語に依存する現代人の危うさ」だけが残酷に浮かび上がる構造になっている。
サピエンス全史とのつながり—虚構を信じる力
読みながら何度も思い出したのは、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』だ。
ハラリは、ホモ・サピエンスがネアンデルタール人を含む他の人類種に勝利できた最大の理由を「虚構を共有する能力」に求めた。神、国家、貨幣、企業、人権——すべては物理的実体を持たない「共同主観的虚構」だが、人類はこれらを信じることで、見知らぬ他人と大規模な協力を実現してきた。
朝井リョウが描く「メガチャーチ」は、この人類史的な構造の現代版だ。神という大きな物語が後退した日本社会で、その空白を埋めているのがアイドル・タレント・キャラクターを核とした「推しの物語」である。ファンが課金し、SNSで拡散し、アンチと闘い、聖地巡礼する。これらの行動様式は、宗教共同体の機能と驚くほど相似形をなしている。
違いがあるとすれば、現代のメガチャーチは「設計可能」だという点だ。慶彦のチームが行う作業は、まさに「人工的な虚構」をどう設計し、どう信者を獲得するかというマーケティングの本質そのものである。サピエンスを文明に導いた力は、いま、四半期ごとのKPIに落とし込まれている。
ファンダム経済というマーケティング装置

マーケティングに携わる立場から読むと、本作はある種の業界教科書としても機能する。
慶彦のチームが標的にするのは、「最も共感力が高く・自他の境界が曖昧で・視野を狭めやすい」層だ。これは現代マーケティングのターゲティング理論と完全に一致する。LTV(顧客生涯価値)を最大化するには、広く薄く獲得するよりも、深くハマる少数のロイヤルカスタマーを育てる方が効率的だ。アイドル産業のCD複数枚買い、握手券、特典商法、ファンクラブのサブスク化——すべては同じ経済原理で動いている。
ここで重要なのは、ファンダム経済が「悪意ある搾取」ではなく、「善意の交換」として成立している点だ。ファンは喜んで課金し、運営は喜んで提供する。両者の間には満足度の高い取引が成立している。少なくとも表面上は。
しかしその裏側で起きているのは、「視野狭窄の意図的な誘導」である。広い視野を持つことは、不確実性・将来不安・比較・選択肢の多さに直面することを意味する。狭い視野は、迷いを排除し、目の前の幸福に集中させてくれる。澄香が留学費用と偽って課金に充てる場面は、この心理メカニズムの教科書的描写だ。マーケターが「エンゲージメント」と呼ぶものの正体が、ここに身も蓋もなく描かれている。
視野狭窄=幸福のパラドクス
本作が突きつける最も鋭い問いは、「視野が狭い方が幸福だ」というパラドクスである。
広く世界を見れば見るほど、自分の無力さ・選択肢の多さ・比較対象の存在に苦しむ。一方、視野を意図的に狭め、一つの「物語」に没入すれば、迷いも比較も消える。澄香も絢子も慶彦も、視野を狭めることで一時的な救済を得ている。
この心理は、推し活だけでなく、宗教・イデオロギー・SNSのエコーチェンバー・カルト・ブラック企業への忠誠——あらゆる現象の根底にある。「我を忘れて夢中になる方が楽」という登場人物たちの実感は、令和という時代の核心を射抜いている。
では、私たちはどうすればいいのか。本書はその答えを提示しない。むしろ、「物語なしには生きられないが、物語に飲み込まれては破滅する」という二律背反だけを冷酷に提示する。安易な救済を拒むこの態度こそが、朝井作品の倫理だ。
おわりに——標本としての一冊

『イン・ザ・メガチャーチ』は、推し活批判の本ではない。「物語に依存して生きる現代人」全体に向けた標本であり、警告であり、同時に共感の書でもある。
マーケティングに携わる者は、自分が「物語の設計者」であることを自覚させられる。ファンダムに身を置く者は、自分が「設計された物語」の中にいることを突きつけられる。そしてどちらでもないつもりの者も、会社・家族・自己イメージという「物語」の中で生きていることに気づかされる。
サピエンスは虚構を信じる力で文明を築いた。同じ力が、今度は私たち一人ひとりの内側にメガチャーチを建ててしまう。
朝井リョウの筆は、その建築現場をどこまでもクリアに、容赦なく映し出している。
